先日、久しぶりにCOTICOのライブをやりました。
楽しかった。。
自作の曲を作る意欲が出てきたように思えます。
今月27日は川崎のぴあにしも(横に告知あります)で初めてのメンバーとの共演あるし
また新たなユニットも予感させ、楽しみな2013年のような気がします。
12月2日
お土産の買い物しようとマラガまで行く。
目指すデパート行くがなんとお休み。
日曜にデパート休むんかい、とツッコミ入れるが仕方ないのでブラブラ。
お茶して小さなお店を冷やかして帰る。
フエンヒロラで昼食。
だいたい2、3時に昼食、9、10時に夕食のクセがついてきた。
ホテル帰って荷物の整理。思わず爆睡。
明日チェックアウトだ。
写真は地下駅で鏡にうつる電車待ちのワタス。
はい映画。
「ライフ・オブ・パイ/トラと漂流した227日」
3Dで観た。
美しい映像を楽しむなら3Dをオススメします。
おそらくそれを想定し作られた作品だと思う。
この監督アン・リーは、これ以上やるとエゲツない映像になる
ギリギリのところを知っているような気がします。
ほとんがトラとの漂流シーンだけどファンタジックな映像に引き込まれます。
ストーリーはナニやら神秘的でもあり宗教的でもある。
ヒンズー教の家庭に育った主人公だけど他の宗教にも関心を持つ。
自分の心の居場所を求めているのかなと思う。
移住のため、動物園経営する家族と動物たちを乗せた船が嵐で沈没。
家族、動物たちを失う。
ただトラ、ハイエナ、オラウータン、シマウマと主人公だけ(ここ大事)が
たった一つの救難ボートに乗り込む。
まもなくトラ以外の動物は死に、トラとの漂流生活になる。
食人島?人食い島?のシーンから「ん?」と思った。
そして終盤に語られるもう一つのストーリー。
考えちゃいましたよ、この映画ナンなんだと。
漂流して生き残るために何が必要か。救助され助かった後に何が必要か。
出航前、主人公は学校でイジメられそうになる。
しかしこの主人公、それから逃れるための積極的な対策を生み出す
生存能力を持っていることを描いている。
必死に生きる一方、精神の平和を求めるためいろいろな宗教に興味を持ったのかも。
漂流中も主人公にトラのような生への強い意志があったから生き残れた、と思うけど
強さはいろいろあってもそれって誰にでもあるものかもしれない。
流され嵐に遭遇したとき自分の神を感じるシーンがあるけど、
自分も自然の一部分であることを知ったのかも。
物語終盤、トラのような自分と人間らしい自分とがあまりに表裏一体の
近い存在だったことに驚いたのではないかな。
むしろそれがあるがままの自分で同一性を感じられたからこそ
救出されてからも精神の破綻なく過ごす事ができたのかも。
そして自分も他の生物と同様、他の生命のおかげでこの世に生きられる
一部分にすぎないと感じたとしたなら、
自分の精神を支える特定の宗教はもはや必要なくなったのかもしれない。
そのかわり、大人に成長した主人公に新しくできた家族が支えになっているのかな?
それにしても食人島はなんだったんだろう?
社会の縮図のようでもあり、人間の二面性のようでもあり。。